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夕月(ゆうづき/ゆふづき)は日本海軍の駆逐艦。睦月型駆逐艦の12番艦で同型の最終艦。 == 艦歴 == 1923年(大正12年)度計画艦。藤永田造船所で建造され1927年(昭和2年)7月25日に竣工、佐世保鎮守府に所属した。当初は「第三十四号駆逐艦」という艦名であり、一等駆逐艦に類別され、1928年(昭和3年)8月1日に「夕月」と改名された。 1937年(昭和12年)からの支那事変により中支、南支方面に進出する。また仏印進駐作戦に参加した。 太平洋戦争開戦時は第1航空艦隊第2航空戦隊第23駆逐隊に所属していた。緒戦はグアム島攻略作戦の船団護衛に従事する。その後、ラバウル方面、ラエとサラモアの各攻略作戦に参加した。更にツラギ攻略作戦に参加したが同地で爆撃を受け損傷した。その後もラバウル方面で船団護衛に従事、8月以降は南海洋方面での船団護衛に従事した 1944年(昭和19年)9月以降は内地高雄間の船団護衛に従事、11月23日に呉港を出港しマニラへ向かった。 同年12月9日にマニラを出港し第9次多号作戦に参加した。しかし、途中で空襲により輸送船2隻が沈没。船団を率いる澤村成二大佐は部隊を2分し、夕月と駆逐艦桐、第140号輸送艦、第159号輸送艦の4隻でオルモック湾へと向かった〔地獄の海、116ページ〕。オルモック湾に到着すると輸送艦は揚陸場所へと向かった。駆逐艦2隻は湾内を哨戒し、接近してきた駆逐艦コールドウェルを砲撃で撃退したが次いで駆逐艦カグランなどからの砲撃を受けて湾外へと退避した〔地獄の海、118-121ページ〕。湾外へ出た後夕月と桐はパロンポンへ向かったが、途中で夕月は桐と別れてオルモック湾に引き返した〔地獄の海、123、128ページ〕。夕月は湾内で第140号輸送艦と合流して湾外に退避、途中で桐とも合流してマニラへ向かった〔地獄の海、131-132ページ〕。だが、その途中の13日にシブヤン海でF4Uコルセア60機の水平爆撃を受け航行不能となり、「桐」の砲撃により処分された〔『艦長たちの太平洋戦争 続編』p141-142。〕。1945年(昭和20年)1月20日除籍。 本艦を最後に睦月型駆逐艦は全て戦没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夕月 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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